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平成もいよいよ終わりますね。

平成最後の記事として、私が会社を辞めた理由を書いておきたいと思います。(笑)

会社員として自分の能力がなかったという理由が一番大きいというのも
ありますが、一つだけではなくいろいろなことが重なってそうなったと思います。

今回、そういったいくつかの理由の中で、今も記憶に残っているある一つの
理由について書いておきたいと思います。

私は転職して中堅企業(メーカー)に5年ほど勤めていました。
最初に配属された部署では、基本的には気楽でしたが、時には
殺伐とした雰囲気になることもある感じでした。

それを今で言うブラック会社なのかどうかと言われると、
ブラックかもしれないし、そうじゃないかもしれないといったところです。
まあ、中堅以下の会社はおそらくどこも似たり寄ったりかと思います。
部署によっても雰囲気は異なるので、一概に決められないところも
ありますけどね。

とにかく私はその部署でなんとか早く慣れていこうと頑張っていました。

そんなある日・・・

上司から「さあ、今日からコストダウンの目標達成のために
皆にはそれぞれやってもらうことがあります。」と突然言われました。

どうやら事業所全体として、商品のコストダウンをするというのが
決まったようでした。

それで何をさせられたかというと、商品の部品などを仕入れている
すべての下請け業者に対して、電話をして値切るというものでした。

無理やり圧力かけて値切るだけです。
はい、下請けいじめです。

正直、私は本気で嫌でした。
でも転職してまだ1年も経っておらず、何の発言権もなかったので
渋々やりました。

下請け業者に電話した時は「そんなこと突然言われても・・・」といったことを
言われることもありましたが、ほとんど受け入れてくれていたような気がします。

というより、親会社から言われたということで受け入れざるを
得なかったのでしょうね。

私は心にずっとしこりが残りながらも、周りの皆もやっていることだしと
いうことで、結局やってしまったわけです。

なんというか、言い過ぎになるかもしれないですが、「殺してこい!
死んでこい!」って言われて、嫌と思いながらも結局「はい」の二つ返事で、
やってしまったのと同じなんですよね。

組織に属すると、多かれ少なかれ、こういうのが付きまとうような気がします。
学生時代なら、いじめが悪いと分かっていても見て見ぬふりをしたり、
加担してしまったり、といった感じですね。
会社組織になると、さらにお金や生活ということも関わってくるので
いじめがそのままその人の生死にまで直結してしまいます。
なので、下手をすると、下請けいじめは殺すことと同じになります。

この出来事はその後もずっと私の記憶に残ることになりました。
もちろん、忌まわしい記憶として。

私はやっぱり会社組織には向かないなあととことんまで自覚しました。
このことが、直接的な退職理由ではなかったですが、理由の一つとして
あったのは間違いないと思います。
というか、私は絶対に組織に属さないで生きていく!って思う気持ちも
この時にはっきりと芽生えました。

平成時代を振り返ると、いろいろとありましたねえ。
この忌まわしい記憶は今日ここでポイっと捨ててしまおうと思います。(笑)


「永遠の緑は心に広がってる そう信じていたい いつの日も どんな時でも♪」

皆さんは、特にファンでもないけど、なぜかずっと記憶に残っている曲ってありますか?

私はあります。
かなり古いですが「My Little Lover」の「evergreen」という曲です。

冒頭に書いたのは、その曲の歌詞の一部です。
かなり昔に聞いた曲ですが、この歌詞と共にずっと記憶に残っています。
何と言っても「永遠の緑」という言葉が印象深いです。

この曲が収録されているアルバムのパッケージはまさに永遠の緑を
現すような草原だったので、その風景を真っ先に思い出します。
また、初夏の頃、太陽が照り付けた街中のアスファルトの風景も
なぜか思い出します。
真夏を前にして、世間の風景はキラキラと輝いているというのに、
どこか不安な自分がそこにいました。

当時の私は人生にかすかな希望を抱いていました。
でも同時に先が見えず行き詰ったような不安も抱いていました。
そんな中で初めて聞いたこの曲の歌詞は私の心に深く染みわたりました。

あれからかなりの年月が経った今・・・

不思議なものですね。
私は今も永遠の緑を求め続け、それを実現させようと生きています。


それにしても・・・
当時存在しなかったyoutubeは、この曲まで提供してくれているとは。(笑)



親が子に絶対にしてはいけないことは何か。

体罰という言葉が真っ先に思い浮ぶ人もいるかと思います。
ただ、体罰は必要と考える人もいれば、絶対ダメだという人もいるので
絶対にしてはいけないかどうかと言われると微妙なところですね。

虐待。
もちろん、それは絶対にしてはいけないのは言うまでもありませんね。

そういった子供に手を上げること以外で絶対にしてはいけないことがあります。
それは何かというと・・・

「他人と比較して叱ること」です。

特に兄弟や身近な友人との比較は絶対にしてはいけないと思います。
「あの子はちゃんとやれているのに、あなたは・・・」
みたいなことを目の前でつぶやくだけでもダメだと思います。

もちろん、兄弟や友人でも、年上を見習うように促す言葉をかけるのは
百歩譲って許されるところはあるとは思います。
たとえば、妹に「お姉ちゃんを見習ってちゃんとしなさい」みたいなのは
ギリギリセーフかなと。
でも、その逆は確実にアウトだと思います。

とにかく、親は子に他人と比較する言葉を浴びせることは絶対に
やめるべきだと私は思います。

親としてはたぶん、自分の子にもっと頑張ってほしい、悪いところを
直してほしいという気持ちがあるから、思わず比較する言葉を浴びせて
しまうところがあるのでしょうね。
また、自分の子に同級生と比較する言葉を浴びせてしまう場合は、
その裏側には親自身の見栄があると思います。
そのため、同級生と比較して叱ることで、子供をなんとか親自身の
理想の子に近づけようとコントロールするということですね。
自分の子は優秀だというのを、同級生の親たちに自慢気に話して
優越感に浸りたいという感じで、世間に対して見栄を張りたい
気持ちが潜んでいるのではないでしょうか。

その気持ちは分からなくはないですが、他人と比較して叱ることは、
子供の教育にとっては最もダメな方法だと思います。
何がダメかと言うと、それは他人と比較されたことで子供が自信を
著しく失うからです。
しかも身近な人と比較されるとなおさら自信を失います。
そして自信を失うと、成長過程の中で自分で気づくべきはずだった
個性に気づくこともできなくなってしまいます。
それは、その子だけの個性を開花させて将来に飛躍する可能性を
摘み取って絶ってしまうことを意味します。

本来は、その個性を気づかせて引き出してあげるのが親の役割だと
いうのに、他人と比較して叱ることは、そのまったく逆の結果を招いて
しまう愚かなことだと思います。
他人と比較されて育った子供は、社会人になっても、それはトラウマの
ように心に残り、常に自信を持てない人間になってしまいます。
ある意味、子供に手を上げる以上にダメージは大きいかもしれません。

親はそのことを肝に銘じておくべきだと私は思います。


本来の面目。

はて?なんのことやら?って思ったのではないでしょうか。
私もそう思いました。(笑)

ネットで調べごとをしていて偶然、この言葉に目が留まり、
実はとても良い言葉だと知りました。

面目というと「面目がつぶれる」といったような、顔をつぶされるとか、
プライドが傷つけられるというような意味の印象が強いような気もします。
面目の意味は世間に対する名誉や体面のことなので大体当たっているのかな。

でも「本来の面目」の意味はそうではないようです。

「人がもともと生まれ持った本来の姿」という感じの意味で、禅の言葉に
あるようです。

つまり、「個性」のことかなと私は思いました。
人は皆もともと生まれながらにして輝く個性を持っていています。
でも、その個性は成長過程の中で、失われていくこともあるのでしょうね。

両親であったり、学校の先生であったり、友人であったり、そんな人たちから
知らず知らずのうちに、なんらかの影響を受けて、そのうち個性をふところに
しまい込んでしまった、みたいな。

でもたぶん、それを引き出して活かせば、誰もが皆が主役になって楽しく
充実した人生を送れると思います。
他人と比較したりされたりというのも必要なくなるかもしれないですね。

また、自分の個性を伸ばしたり、楽しむことに意識を集中させることは、
結果的にいじめやいやがらせの被害者にも加害者にもならないように
なることにつながるでしょうね。

もし、何か自信を持てなかったり、自分を見失っているなら「本来の面目」を
一度ゆっくり考えてみてはいかがでしょうか。

きっと、自分の中に眠っていた個性、本当にやりたかったことなど、本当の
自分の心の声が聞こえてくると思います。


学校を卒業してから、つまり社会に出てから気づいたことがあります。

礼儀正しく、社交性があり、親切であり、優しい人であろうが、結局、
生きていくためのお金を稼げないと何の意味もないということです。

逆に言えば、それを稼いでさえいれば、上記とは逆の人であったとしても
一応、社会的には受け入れられるということですね。
もちろん、法律、マナーやモラルに反する人はいずれにしてもダメですが。

たぶん、なんかそういう考え方って拝金主義みたいで受け付けないし、
納得できないなって思った人もいるんじゃないでしょうか。

では、この3人がいたとすれば、どういう印象を持つかイメージすれば、
考え方が少し変わるんじゃないでしょうか。

A:愛想が良く親切で人気者だけど生活保護を受給している人
B:愛想や親切心、人気は普通だけど月5万円しか稼げない人
C:不愛想で不親切、ニートだけど月30万円を稼いでいる人

たぶん圧倒的にCさんが社会的に受け入れられると思うんです。
AさんとBさんはダメだなと思いますよね。
もし、あなたに社会人の子がいたとして、この3人だけなら、
どの人のようになってほしいと教えるならたぶんCさんと教える
のではないでしょうか。
少し究極の選択ではありますけどね。(笑)

つまり、社会人になってからは、愛想が良かろうが、親切だろうが、
稼げないとほとんど意味がないというのはそういうことなんですね。

でも、あの人は親切で良い人だし・・・
と思うところもあるかもしれないですけど、冷静に考えてみれば
やっぱりどんな形でもしっかり稼いでいる人のほうが社会的に
許されて受け入れられるんですよね。
そこはイメージ云々とかではなく現実ということだと思います。

ちなみにニートなのに稼いでいるというのは、株など自宅で
できる常識の範囲内の仕事で稼いでいるものとします。

思えば、学校では周りの人たちと仲良く協調するために、愛想良くして
積極的に関わっていかなきゃいけないという雰囲気があったと思います。
その雰囲気に押されて、愛想良くもしたくないのに、積極的に関わりたくも
ないのに、意志に反して無理していることも多いんじゃないでしょうか。
そうして無理をしながらも、いわゆる集団の中に溶け込む力や空気を
読む力?を訓練させられてきたということなのかなと思います。

でも・・・
先ほどの話に戻るけど、集団に溶け込む力や空気を読む力をどれだけ
持っていても、稼げなければ、社会的に受け入れられないんですよね。
逆に空気を読む力なんてほとんどないけど、ニートであっても稼ぐ人の
ほうが社会的には許されるという現実。
どう思いますか。

もちろん、男女でちょっと考え方の違いはあるのかもしれないけど。

いずれにしても、学校で教わったことって何なんだったんだろうって
今になって思わざるを得ないところがたくさんあります。

学校教育というシステムは、集団の中で働いて稼いでいくことに
主眼が置かれていたんだなとつくづく思います。
一方、集団とは距離を置いて、個性を活かして稼ぐというのは
どういうことなのか、というのはまったく教えてもらえないシステム
だったということですね。
学校では、個性を出すことより、自分を押し殺してでも周りと歩調を
合わせなさい!っていう教えでしたね。
どおりで私には学校という場所は居心地がわるかったわけだ。(笑)

ということは、集団生活に向かない人は、学校で学んだ価値観とは
違った価値観に入れ替えなきゃいけないということですね。

今回の話は、もしかしたら誤解を招いてしまうかもしれないですけど、
社会人になってから、大企業、中小企業、零細企業、個人事業、無職と
すべての立場を経験した私としては、正直なところそんなふうに思います。


4月1日に新しい元号が発表されましたね。

「令和」

正直、特に良いも悪いも分からない感じでした。
「令」は命令の印象が強いので、政府や官僚たちの命令に従って
国民はおとなしくしてなさい、って意味なのかなと思いました。(笑)

「平成」のほうが文字も響きもおだやかで温かそうなので好きかな。
まあともかく5月から新しい時代が始まるということで、災害などのない
良い時代であることを願っています。

話は変わりますが、4月には学校では入学式があり新学期が始まりますね。
またクラスも決まりますね。
私はその時はいつもドキドキしていたような記憶があります。

でも今になって学校のクラス決めって意外と怖いなと思うんです。

クラス決めでは、無作為に30人なり40人といった人数で区切られて、
同じ教室の中で1年間、長い時間を過ごすことになります。
いじめっ子といじめられっ子が同じクラスになることもありますよね。

それって、例えると・・・
鳥かごの中にインコとオオトカゲを一緒に入れるようなものだと思うんです。

そんなことは馬鹿げているし、愚かなことだし、絶対にしないですよね。
なのに、強制的に教室という空間に一緒に放り込まれて、出してほしいと
願ってもそれを言うことさえもさせてもらえないわけなんですよね。

また、最初は仲良しなのに、途中からいじめが始まって、いじめっ子と
いじめられっ子の関係が出来上がってしまうこともあります。
いずれにしても、クラスの中に閉じ込められて逃れられません。

インコはオオトカゲと死ぬ気で戦わなきゃいけないということですか。
もちろん、一瞬で丸飲みされるだけですが。
いじめられっ子はいじめっ子のエサとして放り込まれたようなものですね。
一体、何の罰ゲームなんでしょう。(笑)
大人になった今、そう思います。

でも、社会人でも同じことなのかなと思うところもあります。
たとえば就職して会社員になり、配属された部署で、いやがらせをしてくる
ような上司や同僚がいても基本的には逃げられません。
その状況は学校のクラスとほとんど同じですね。
そういう意味では、学校は会社員になるための訓練場みたいなものなのかな。

ただ、社会人の場合は仕事を選ぶ際に、会社員にならない選択をすれば
良いだけのことですけどね。
とはいえ、学校では会社員になるための訓練をさせられていたわけなので
そういう考えで行動するのは簡単なようで簡単ではないのでしょうけどね。
そのあたりの話はまた別の機会に・・・

話を戻しまして、最近でもいじめによる学生の自殺がありましたね。
明るくかわいらしい子だったので、なんでいじめられたのかなあという
印象でした。
どうやら、その子はいじめっ子の彼氏と仲良くしていたらしく、その
妬みからいじめられるようになってしまったそうです。
学校を卒業するまでもう少し我慢出来たら、明るい未来が待っていたかも
しれないと思うと残念でならないです。

その子はまさに閉じ込められたクラスや学校の中で逃げたくても逃げられ
なかったんだだろうなと思います。

でも、こういう時、多くの人は「いじめられたら逃げればいいんだよ」とか
「なんで逃げなかったのかな」とか言いますよね。

それって、鳥かごの中にインコとオオトカゲを一緒に放り込んでおきながら
なんで逃げなかったの?って言ってるのと同じだと思うんですよね。

それを言うんだったら、最初からクラスに閉じ込めるんじゃなく、いつでも
自由に逃げられるような学校の仕組みにしておいてあげることが先では
ないでしょうか。

現状の学校の仕組みは、7割か8割ほどの生徒のためには合っていて
その生徒たちは有意義な学生生活を過ごすことができると思います。
一方、残りの2割か3割ほどの生徒には合わないということになります。
合わないということは、自然といじめやいやがらせの対象になりやすく、
運悪く対象となってしまった生徒は、学生生活の思い出がトラウマのように
なってしまうんだろうなと思います。

なんとか残りの2割か3割ほどの生徒も有意義に学生生活を過ごすことが
できるような仕組みにならないものかな・・・