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戦国時代の武将の上杉謙信と武田信玄。
たぶん皆さんも名前は知っているかと思います。

どちらもあの織田信長からも恐れられたほどの猛将です。
最近ではゲームやアニメで戦国時代をテーマにしたものが流行ったりして
いたので、歴史好き以外の人も興味を持ったケースもあるかもしれませんね。

この二人の名前を見ると、ふと思い出すアニメキャラがあります。
なんでアニメキャラ?というツッコミはなしでお願いします。(笑)

シャアとアムロです。
ガンダムシリーズのラスボスと主人公ですね。

上杉謙信と武田信玄の関係はシャアとアムロの関係に似ている気がします。
どちらがシャアでどちらがアムロかと言われるとなかなかむずかしいですが。

なぜ似ているかというと・・・

お互いに組織の中で有能ですが、どこか控え目で、相手を叩き潰すことなく、
結局のところ決着がつかない、という感じが非常に似ていると思います。

『逆襲のシャア』でも、シャアとアムロはお互いに最強のモビルスーツで戦い、
生身でも戦いましたが、とどめを刺せる状況になってもなぜかとどめを刺さず、
二人とも小難しい理屈を主張し合って、結局、平行線なんですよね。


     


まさに上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いもそうでした。
有名な大きな戦いですが、にらみ合いが長く、結局、決着がつきませんでした。

この二人はお互い、本当は戦いたくない、人を殺し合いたくないのに、なんで
戦わなければいけないのか、悩みながら戦っていたのだろうと私は思います。

特に上杉謙信は実は女性だった説もあるほど、戦国武将の中では異質というか
謎につつまれた人物でした。
命乞いをする者にも切り捨てることはせず、見逃したそうです。
切り捨ててしまうのが当たり前の時代にはあり得ないことでした。
また、あの弱肉強食の戦国時代の状況下で、まったく自分から侵略戦争を
しなかった稀有な武将でもありました。
それにもかかわらず、相手から私利私欲のによる侵略戦争を仕掛けられると、
烈火のごとく先頭を切って、敵に突っ込む勇ましい面も持っていました。

私個人的に思うのは、上杉謙信は酒を一気飲みして、酔っ払って先頭を
切って敵に突っ込んだのではないかと思っています。
酒でも飲まないとそこまで変貌できないと思いますからね。
その姿が勇ましく見えただけで、実は上杉謙信はとても繊細な武将だった
のかもしれません。
それが女性説の所以と考えればなんとなく説明がつくようにも思います。

ちなみに、「敵に塩を送る」という言葉は、上杉謙信が、武田信玄の甲斐が
塩の不足に苦しんでいるのを知り、塩を送らせたことから生まれたそうです。
つまり、敵の弱みにつけこまず、逆にその苦境から救う、という意味です。

素晴らしい精神ですね。
戦国という私利私欲みまみれた荒々しい時代において、ひたすら平和な
世の中を願うという慈悲や慈愛に満ちたものを感じます。

上杉謙信と武田信玄はお互いどこか似ている部分があったためか、敵であり
ながら同士のような不思議なテレパシーのようなものを感じていたのでは
ないでしょうか。

まさにシャアとアムロの関係ですね。(笑)

どことなく臆病なところも似ていますね。
猛将に対して臆病とは失礼かもしれないですが、臆病さは慈悲深さを生むと
私は思っています。

今の時代においても、武力で相手を威嚇して抑え込むというのが実情ですが、
各国のトップは、相手を威嚇することなく、武力は防御だけに使うという
上杉謙信の精神を見習ってほしいなと願います。

上杉謙信のことはもっと書きたいですが、また別の機会ということで。

ちなみに逆襲のシャアのテーマ曲『オーロラ』、とても好きです。
youtubeでみつけました。(ピアノ演奏)




ここ数年、アニメの世界でもCGなどデジタル技術を駆使した作品をちらほらと
見かけるようになりました。

ただ、日本では比較的、デジタル化は遅れているみたいですね。
遅れているというか、あえてデジタル化の波に飲まれないようにしているのかもしれません。
ジブリアニメなんかもまさにデジタル化とは無縁の感じの昔ながらの絵ですね。

CGの絵は画像としては美しくリアルだと思います。
たぶん作業効率なども良いのでしょうね。
ただ、どこか機械的で味気なさを感じてしまうところもあるような気もします。

アニメの絵を絵画だと考えてみるとよく分かります。
当然のことですけど、絵画は今も昔も変わらず手描きです。
つまりアナログの絵です。
絵画は現実の世界とは少し違います。
でも現実とまったく同じではないから良いのではないでしょうか。

もし、絵画に現実の世界とまったく同じリアルさを求めるなら、それはもはや写真ですね。
CGを駆使して美しさやリアルさを求めていくと、行きつく先は実写ということになります。

確かにアニメの世界にもデジタル化の波は押し寄せていて、避けられない部分もあるかもしれません。
ただ、昔から変わらないものとして、アナログの絵はずっと残していかなきゃいけないと思います。
絵画をデジタル化しないのと同じように。

と、ここまでアニメのデジタル化を否定したようなことを書いておきながら
言うのもなんですが・・・

デジタル化に向いているアニメ作品もあったりします。
その代表格は『宝石の国』だと私は思います。

この作品では今の日本のアニメではめずらしく、フルでCGの絵が使われているようなんです。
登場するキャラは人間の形をした宝石という設定なので、デジタル化した絵の美しさやリアルさが活かされています。

◇『宝石の国』OP




子供の頃、両親がいるのは普通のことのようでしたが、中には
幼くして両親を亡くしたり、何らかの理由で親元から離れなければ
ならなくなった子供もいます。

そういう子は通常、地域の児童養護施設に預けられて
そこで暮らしながら、小学校や中学校に通うことになります。

私の小中学生の頃にもクラスに2、3人いました。
その子たちは、少しやんちゃながらも、普通に友達として
両親のいる子と変わらず、皆一緒に過ごしていたように思います。

ただ、中学卒業後は、どこでどうしているのか、分からなくなったケースが
多いような気がします。

児童養護施設で預かってもらえるのは高校生卒業するまでだったと思います。
もし、中学卒業して高校に進学しない場合は、中学卒業で退所することに
なっているのかもしれません。

つい最近、高校を卒業して児童養護施設を退所した子が東京の児童養護施設の
施設長を刺殺した事件がありました。
事件を起こした子は、退所後には会社の寮で暮らして働いていたそうですが、
仕事がうまくいっておらず、家賃を滞納していたようです。
施設長は退所後もその子を気にかけていて、滞納していた家賃を肩代わりするなど
とても熱心で思いやりもある施設長だったそうなので、このような事件で亡くなられた
ことは残念でなりません。

この事件の理由は詳しくは分からないですが、退所してから、社会の厳しさ現実に
直面して、経済的にも精神的にも追い詰められてしまったことが原因だったと想像
できてしまうところがあります。

一つ言えるのは、児童養護施設に入所していた時と退所後のギャップというのが
この事件のポイントとなっているように思います。

児童養護施設内に入所している時は、ある意味、社会の現実から切り離されて、
子供たちは守られるわけですね。
しかし、そこを退所した時点から、社会という厳しい世界に放り込まれ、
児童養護施設で育ったということは、経歴として大きなハンディキャップを
背負うことになります。

そのことは、就職の面接などではっきりとすると思います。
たとえば経歴を見た採用担当者の多くは不採用を決定することになります。
稀に採用されたとしても、非常に条件の悪い、つらい仕事しか選択肢がないと
いうこともあるかと思います。
その子は何も悪くはないのに、そういった厳しい現実が一気に襲いかかります。

つまり、児童養護施設の子は入所している時と、退所してからではあまりに
境遇が異なり過ぎるというギャップに大きな問題があるのではないでしょうか。

そのため、私は児童養護施設に入所している間には、なるべく個性を発揮して
稼ぐことができるように育ててあげることが求められるように思います。
起業できるレベルにまで育つことができれば理想的ですね。

児童養護施設の子にそんなことできるはずがない!と思う人もいるでしょう。

でも逆に私は児童養護施設の子だからできると思います。
その子たちも自分自身が両親と普通に暮らす他の子とは境遇が違うことは
認識しています。
そう認識しているからこそ、他の子とは違った人生を歩むことの必要性も
理解できる考えを持っている可能性が高いのではないでしょうか。

また、今の時代はIT機器という心強いアイテムもあります。
手軽なところでは、スマホですね。
それにより、平等に社会の情報を得ることができ、社会に向けて発信する
こともでき、自分たちなりの人脈を築くこともできます。
スマホを所持するにはお金はかかりますが、それは教材の一つとして与えても
良いと私は思います。
そして、まずはスマホを習得してもらい、自分の得意なことや好きなことを
みつけて発信していき、人とつながり、ビジネスの感覚を少しずつ身に着けて
いくように促すという感じですね。
入所している子にはなるべく早くスマホを与えたほうが良いと思います。

また時には同じような立場で、成功された方を施設に招いて、講演してもらう
機会を作っても良いのではないでしょうか。
自分もここで頑張れば成功できるんだ、という希望にもつながるはずです。

入所している間にただ寝泊まりするだけの場所として提供するだけでは
もったいないと思います。
というか、先述のように社会に出てからの現実にショックを受けて問題行動を
起こしてしまうことにつながることもあります。
そうならないためにも、個性を伸ばして、自分で起業してビジネスのスキルを
磨く場としてうまく機能させることができれば、入所中と退所後のギャップを
少しでも埋めることができるように思います。

いろいろな考えがあるとは思いますけど、私としてはそのように考えます。


タイトルを見てなんとなく穏やかな気持ちになれそうだなと思われたでしょうか。
でも、たぶんその期待は裏切られることになると思います。(笑)

少し奇妙な話になると思うので、もし読んでくださる方は心して読んでくださいね。
まず、やさしい人はどういう人なのかというと・・・

やさしい人はこの世には存在しないと私は思っています。

かといって、皆、つめたい人なのかというとそういうことでもなく、
皆やさしくもあり、つめたくもあり、どちらとも言えず同じという感じです。

ただ、昔からずっとそう思っていたのではなくたぶん、少しずつそういう
考えに向かってここ数年で固まってきたように思います。

いやいや、そんなことないよ、やさしい人はたくさんいるよ!って反論したく
なった人もいるかもしれませんね。

では、この話はどう思うでしょうか。

私が中学生の時に社会科の時間に先生から聞いた話があります。
何気ない話でしたが、ずっと記憶に残っています。

それは、ナチスドイツ時代のアウシュビッツ収容所の話でした。

当時、あるドイツ人の家庭で、やさしいお父さんがいました。
妻にも子供にもやさしい、まさにマイホームパパという雰囲気のお父さんです。

でも、そのお父さんは入浴の際、アウシュビッツ収容所のガス室で虐殺された
ユダヤ人捕虜の死体から採れた油で作られた石鹸で体を洗っていたそうです。

なんとなくぞっとするような話です。
そのお父さんはアウシュビッツ収容所に勤務していて、ユダヤ人捕虜を
ガス室で虐殺する担当の仕事だったわけですね。

私は中学生の子供ながらにこの話にショックを受けたんだと思います。
だから今も覚えているわけですね。

死体から採った油の話は作り話だという説もあるようです。
ただ、ユダヤ人をガス室で虐殺したのは事実ですので、この話は
作り話であったとしても、それに近いことは実際にあったと思います。

いずれにしても、当時のドイツ人のそのお父さんからすれば、
ユダヤ人の捕虜はゴミ以下で上層部からの命令どおり虐殺して
処理するものでしかなかったわけです。

なので、そこでは仕事として人を殺しておきながらも、平然と家に帰って
やさしいマイホームパパの顔をしていたのだろうと思います。
あるいは、もしかすると、家族の前では、良いパパを演じていたため
ストレスが溜まっていて、収容所の捕虜を虐殺するのが、ストレス発散に
なっていた可能性も考えられなくはないですね。
そうだったらなおさら怖いですね。

皆さんはこのお父さんをやさしい人だと思いますか?
逆につめたい人だと思いますか?

もっと言えば、この家のお母さんはもお父さんがユダヤ人の捕虜を
虐殺していたことは知っていたわけです。
知っていながら、何も言わずお父さんと共に幸せに暮らしていました。
そんなお母さんはどうなんでしょう?

なんとなく、私がやさしい人はこの世にいないと言ったのは少しは
分かってもらえたでしょうかね。

いや、全然分からないし、そんなのは戦時中の究極の話だから、
納得できないよって思った人もいるでしょうかね。

確かに戦時中のことなので、皆が皆、狂っていたのかもしれないですが、
今も人の本質はそれほど大して変わっていないと思うんですよね。
実際、今も戦争やテロがどこかで起こってているし、武器による人間同士の
争いがようやくなくなったかと思えば、今度は経済戦争で人を追い詰めて
いるわけですよね。

もっと身近なことでは、たとえば、会社ではやさしいけど、家ではつめたい。
また人にはやさしいけどペットにはつめたいとか。
その逆も然り。

そんなふうに、あるところではやさしい人だけど、あるところではつめたい人、
ということは同じ人でも違う面を持っていることは普通にあったりしませんか。

いやいや、自分は平和主義で喧嘩もしたことないし、いつでもどこでも
人にもペットにも、やさしいよっていう人もいると思います。

ただ・・・

犬や猫などペットにやさしい人でも、一方では、牛肉、豚肉は好んで
食べているということは牛と豚はそのために殺されているとも言えます。
そう、犬や猫にはやさしくても、牛や豚にはつめたいですよね。
かわいい牛さんや豚さんからするとその人は脅威なわけです。(笑)
ちなみに私は特に動物愛護の考えでもないんですけどね。

それではベジタリアンだったら、すべての動物にもやさしいし、本当に
やさしい人じゃないかって思うかもしれないですが、そうではないと
私は思っています。
ベジタリアンだって植物を食べるわけですからね。
植物ももしかしたら動物と同じように感情があったり痛みを感じたり
するのかもしれないので、ベジタリアンだからやさしいということでは
ないと思うわけです。
(誤解があるといけないので言っておくと、人に強要するのではなく、
自分の納得の上でベジタリアンをしているのは自由だと思います。)
ますます奇妙な話になってすみません。

だからなんです。
私はこの世にやさしい人はいないと思うわけなんです。

ある片側ではやさしい人かもしれないですけど、反対側の面では
つめたい人であることも普通にあり得ます。
またそれは自分の意志でそうなっていることもあれば、無意識のうちに
結果としてそうなっていることもあります。
言い換えれば、一つの側面だけで人のやさしさやつめたさを判断する
ことはできないということですね。

なので、私は人を見るとき、どんな人であっても、この人はやさしい、
この人はつめたいと、決めつけることは今ではしません。
ある意味、皆同じだと思っています。

やさしさもつめたさも実は皆同じで似たり寄ったりだと思えば、
誰かを特別に憎んだりせず、誰に対しても差別や偏見なく
平等に接することができるのではないでしょうか。

そんな感じです。
予想以上に奇妙な話だったでしょうか。(笑)


GW10連休、最終日になりましたね。
始まる前はすごい長い休みだなと思っていたけど、過ぎてみるとあっという間でした。

この連休中には天皇即位があり、一つの時代が終わり新しい時代が始まりました。
新天皇になってどんな皇室の雰囲気になっていくのか楽しみな気もします。
一方、雅子様は心の調子を崩されていましたが、これを機に治ると良いですね。

ちなみに、雅子様は上から読んでも下から読んでも雅子様なんですよね。

「まさこさま」

でしょ。(笑)

ところで、アニメの世界でも「様」の付くキャラがいますね。
皇室とは違って、アニメではくせものが多いですよね。

たとえば・・・

「ディオ様」(ジョジョの奇妙な冒険)

「赤司様」(黒子のバスケ)

「えりな様」(食戟のソーマ)

などなど。
なかなか皆、アクの強いキャラだと思いますけど、どうでしょう。

黒子のバスケの「赤司様」は、私がこのアニメを見るきっかけそのものでもありました。
もともとは、バスケの漫画アニメっていったら、「スラムダンクでしょ!」と思って
いた(でも見てなかったのですが)ので、「黒子のバスケ」は鼻っから受け付けない感じでした。

でも、偶然、深夜アニメで赤司様がいきなり火神にハサミで切りつけるシーンを見て、
それ以降全話見ることが決定しました。(笑)

赤司様、何かありそうって思って見ていたら、やっぱりつらい過去をお持ちでした。
もちろん号泣でした。

「様」の付くキャラのことは、気づいたら目が離せなくなってしまっていることが
多いんですよね。
結局は主人公と同じくらい好きなキャラになってしまっているから不思議です。


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令和の時代が始まりましたね。

この元号の良し悪しはともかくとして、改元や東京オリンピックを政治利用した
政府によるお祭り演出で、うまく踊らされないようにしなければいけないですね。
まもなく消費増税が待ち構えていますからね。
消費増税は富裕層からは取りにくいので、取れるところから取りたいということで、
一般庶民がターゲットになっているだけということを自覚しないといけないです。
政府は無駄遣いして借金しておきながら、その返済にと、最も貧しい農民から
年貢をとことん絞り取ろうとしているわけですからね。
施行されてからでは遅いので反対するなら今のうちですよ。

いきなり話がそれてしまいました。

いじめられることは幸運。

なんてことを言うんだ!と怒られるかもしれないですね。
でもいじめをおもしろがったり肯定しているわけではないです。
そう思うのには理由があります。

学校でも会社でもいじめが必ず発生します。
そしていじめられやすい人の多くは、もともと集団行動に向いていない人です。
つまり集団から浮いている人。

そういう人は遅かれ早かれいじめのターゲットになってしまいます。
いじめられる日々が続くとつらいですよね。
自信も失うし、生きる気力さえも失うと思います。

でも・・・

そもそも、なんでつらいのかというと、その集団に属しているからなんですよね。
だったら、その集団から離れれば、つらくないわけです。

というか、集団から浮いていていじめられやすい人は、集団の中ではない場所で
個性を発揮できるタイプの可能性が高いと考えられます。

集団ではない場所というのは、横並びで協調と競争を同時にさせられる
集団の中ではなく、外ということです。

たとえば、学生だと集団で学ぶ一般的な学校のような場所ではなく、
家庭教師だったり、小規模の塾やフリースクールのような場所です。
社会人だと、一般的な会社ではなく、芸術家や職人、個人事業主などです。
あるいは、もしかすると、集団のトップ、つまり集団を外側から束ねる経営者の
立場が適している、という可能性も考えられます。

なので、集団の中でいじめられたということは、もともと合わなかった集団から
わざわざ追い出してくれて、本来の個性を発揮できる集団の外という場所に
移るきっかけを与えてもらえたわけですね。

これってすごく幸運だと思いませんか。
また、その時期が早ければ早いほどさらに幸運であるのは言うまでもありません。

もし、はっきりといじめられず、中途半端にいじめられたようないないような
状況のままだと、そのまま合わない集団の中で一生過ごすことになりますからね。
精神がボロボロになっていて、自分が自分じゃなくなっていたことに気づいたのが
40代や50代だったら既に遅しで、30代でもやや遅いというのは感覚として
分かると思います。
なので、今すぐにでもこれまでの考え方や価値観をリセットして再スタートしても
決して早すぎることはないと思います。

ただ、小中学生だと親の理解というのも重要になるので、少し注意も必要ですが。
(それについてはまた別の機会に書こうと思います。)