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先日、テレビ番組で犯罪検知の特集をしていました。

過去の犯行現場の映像の情報を元に、防犯カメラに映る人の行動を
システムが分析して、犯罪を起こす可能性のある人を検知するという
ものでした。

まさに、アニメ『サイコパス』の世界だと思いました。
システムが犯罪係数を検知することで、犯罪予備軍を洗い出し、
その場で逮捕したり処分して、犯罪を未然に防ぐというものですね。

そんな世の中はまだ少なくとも50年先の話だろうと思って
いましたけど、意外とそうでもないかもしれないと思いました。

最近では、無差別に殺傷する事件も多発しているので、
何らかの対策は必要ではありますけど、犯罪予備軍を自動的に
検知するというシステムは、正直なところ怖さも感じます。

そもそも、システムで判別する基準を設定するのは人間であって、
設定する人によって、その基準が変わることもあり得ます。

ということは、もし悪徳だったり利己主義だったりする権力者が
そのシステムの基準を決める決定権を持ってしまうと、どんな
恐ろしいことになるか、想像がつきます。

安全安心な社会を目指すことは大切だし必要なことです。
なので、システムで未然に犯罪を防ぐというのは画期的な
一つの方法ではあると思います。

でも、それに付け込んだ暴君が社会を支配するようなことが
あれば、本末転倒です。

これからの社会は難しい選択をせまられそうですね。


笑う門には福来たる。

いつもにこやかで笑顔を絶やさない人には幸せがやってくる感じですね。
確かにそう思います。

ただ、鬼が来ることもあります。(笑)

その笑いに無理があると、そのうち自分が自分でなくなってしまうからです。

本当に楽しくて笑っているのであれば、何の問題もないですけど、特に楽しくもないのに
愛想よく笑う習慣がついてしまった場合は少し危険です。

すべての周りの人とうまく協調しようといつも相手の顔色ばかり伺ってしまいます。
笑顔でなんとか人間関係を和ませようとします。

でも、そんな自分を続けていると過剰適応の人間になってしまいます。
自分の主人は自分ではなく、理想とする自分が自分の主人という状態ですね。
何か中身がからっぽのような弱さがある感じです。

そうなると、いじめっ子たちの格好の餌食になります。
自分を偽っている人はどこか不自然さがあり、それをいじめっ子たちは敏感に察知しますからね。

確かに、笑顔でいることは素敵です。
でも、その笑顔が本当の笑顔でない場合は、むしろ笑わないほうがいいのかもしれません。
笑顔もほどほどに、ということですね。


いじめられる人がいる一方で、いじめられない人もいます。

今回はいじめられない人の話になります。
喧嘩が強かったり、他人が憧れるような突出した才能を持っている人は
いじめられない、いじめられにくいというのは分かると思います。

しかし、そうではなく、いたって普通の雰囲気なのにいじめられない人がいます。
学校や会社の中で、特に強そうでも怖そうでもなく、むしろ、どちらかと言えば
弱そうなのに、なぜかまったくいじめられない人っていませんでしたか。
しかも、いじめられないどころか、いじられもしない、バカにもされない、
悪口も言われない。
まるで、その人だけはいじめてはいけないよ、みたいな特別なオーラのような
ものに包まれているんじゃないかというほどです。

その人たちに共通しているのは、ガツガツもしていなくて、毒っ気もなく、
熱くもなく、かといって陰気でもなく、マイペースという雰囲気ですね。
人畜無害の普通の人、と言えばそうなのかもしれないけど、それだけでは
説明がつかない気がします。
私の周りにもそういうタイプの人がわずかにいました。

その人たちからは、いじめの対象になる気配がまったく感じられず、
なんとも不思議だなとずっと思っていました。

ある意味、得体が知れない感じですね。
でも、最近なんとなくその人たちの正体が分かってきました。

その正体とは・・・

シマウマです。(笑)

つまり、視野が広く警戒心の強い草食動物ということですね。
一見、平然としているようで、何かをしながらでも、隅々まで周りを
よく見渡していて、自分に危険が迫らないように、常に意識しています。

実際、私も過去にそういうタイプの友人がいましたが、たまに出てくる
本音を聞くと、何も考えていないようで、そんな緻密に考えていたんだなと、
驚かされたことがありました。

こうしたら損だ、とかちょっとしたことですが、自分が損しないように
緻密に考えている、ということだと思います。

たとえば、あの人に付いていれば安泰だとか、得があるとかなど、実は
人並外れてよく考えて行動していると思います。
もっと言えば、ここでこうなったらたぶんあの人が先にいじめられるから、
自分は助かる、あるいは自分が手を下さずして、勝ち取るとることができる
といった予測も非常に上手だと思います。

周りでいじめたり、いじめられたり、というもめごとが起こっている中で
間に入って止めるわけでもなく、表情を変えることもなく普段どおり
マイペースを貫いている感じです。

つまり、シマウマだと考えれば分かりやすいですね。(笑)

そういう人は単純な損得勘定をはじめ、いじめやいじりの対象に
ならないように、なおかつ人間関係においてある程度優位な位置を
確保できるように普段からかなり緻密に考えて行動しているのでしょうね。

要領が良いとも言えますし、狡猾とも言えます。
まさに、草食動物が弱肉強食の世界で生き残っていくためのスキルですね。
ある意味、集団生活での競争が生み出した一つの姿とも考えられます。

その人たちを見習ったほうが良いのかどうかは何とも言えませんが、
一つ言えるのは、草食動物も意外と怖いものだということを理解して
おいたほうが身のためだと思います。(笑)


私が小学生の頃にどこかで読んだ本の話です。

タイトルは忘れたのですが、主人公がホジャさんというのは記憶に残っています。
その話は簡単に言うと、こういう内容だったと思います。

ホジャさんはレストランに行きました。
着ているものは安っぽく貧しい感じがするものでした。
すると、店員はホジャさんの身なりがふさわしくないということで入店を断りました。

仕方なくホジャさんは帰りました。
そして今度は、綺麗におしゃれをして同じレストランに行きました。
すると、店員は丁寧にもてなし、快く席まで案内してくれました。

ホジャさんは無事に席に着き、料理を注文しました。
料理が来ました。
すると、突然、ホジャさんは自分の上着のポケットにスプーンで料理を放り込みました。
「ほら、美味しいだろ」
そう言って次々とポケットに料理を放り込みました。

大体そういう話だったと思います。

ホジャさんは、自分の着ている服が汚かったから入店させてもらえず、
逆に服が綺麗だから入店させてもらえたので、服に料理を食べさせたわけです。
つまり、人を身なりや見た目で判断して態度を変える人を皮肉った話です。

私はこの話が小学生ながら、とても印象に残ったのだと思います。
だからこそ、今でも覚えているわけですね。

今思うと、ホジャさん、ちょっとやりすぎでしょ、という感じですが。(笑)
それに、やはり公共の場ではマナーという概念もあるので、その場所に合わせて
小ざっぱりと綺麗にしていくのも必要、という見方もあります。

なので、場所をわきまえず、不潔な服装で入店しようとしたホジャさんは
ある意味、周りのことを考えない身勝手で非常識な人、とも言えなくもないですね。

でも、ホジャさんの気持ちもよく分かります。
今の時代でも、いろいろなシーンで、身なりや見た目で判断され、ひどい場合は
差別され、いじめにまで発展することもありますからね。

人を身なりや見た目で判断するのは絶対にしてはいけないことなのか。
あるいはある程度仕方ないことなのか。
だとすれば、どこからが仕方ないと考えられるのか。

いろいろと考えさせられます。
皆さんはどう思いますか。


北海道で2歳女児衰弱死の事件がありました。

若いシングルマザーと交際相手が悪いのが当然なのですが
児童相談所や警察にも責任追及が飛び火していますね。

児童相談所が悪い、いやいや警察が悪い。
世間からの批判の声を受け、責任のなすり合いの押し問答が
しばらく続きそうです。

今は児童相談所のほうに世間の厳しい目が向けられている印象があります。
確かに、児童相談所にも認識の甘さもあったのか、人手不足だったのか、
実際はどうなのかよく分かりません。

一方、警察はなんで事態を把握しておきながら、児童相談所の同行を
待っていないで、単独で訪問しなかったのかなあと疑問に思います。

ノルマで、無理やり自転車の鍵調査や職務質問をしているのだったら
こういう事態に率先して駆けつけるべきだったのではないかと思います。

いずれにしても児童相談所も警察も公務員のお役所体質というか、
無責任の連鎖があったのかと言わざるを得ませんね。

さらに、働き方改革の悪い面がこういう部分でも出ているのかなとも思います。
人手が不足しているというのに、残業もさせてもらえずさっさと帰らなきゃ
いけなわけですからね。

もし、働き方改革なんてなかったら、長時間働ける人のおかげで、
人手がなんとかまかなえていたとも考えられます。
今回の事態にも対応することができ、命が救われた可能性もあります。

急を要することがあっても対応できないケースは増えるでしょうね。
もともと、労働基準法があったわけだから、わざわざ公務員主導の
働き方改革など必要あるのかなという感じです。

今回の惨劇の裏には、働き方改革の弊害のようなものもかなり
影響していたのだろうなと個人的に思いました。

最近、高齢者の自動車暴走事故が相次いで起こっていましたが
今日もまた大阪で起こりました。
死傷者がいなかったのは幸いでした。

今回も高齢者によるアクセルとブレーキの踏み間違いだったようです。
ただ、高齢であることが原因とされる風潮がありますが、決めつけは
良くないと思います。

アクセルとブレーキの踏み間違いは、実は若い世代にも多いからです。

たとえば、ブレーキを踏むはずが、何らかの理由で、うっかりと
アクセルを踏んでしまったとします。
自分ではブレーキを踏んだと思い込んでいるのに、意に反して
車はぶわっと急進すると・・・
気が動転して頭が真っ白になります。
その状態で、焦ってまたブレーキと勘違いしてアクセルを
踏み込んでしまいます。
「あれ!!もしかしてこの車、故障しているのかも!?」と
思い込んでしまいます。
そうなると、もうパニック状態で、わけが分からなくなります。
その結果、暴走ということもあり得ますね。
しかもそこまで一瞬の出来事だと思います。

なので、これは年齢関係なく起こり得ることになります。
もちろん、高齢者のほうがやや判断力は鈍りますが、運転経験の
面では若い人よりはるかに経験値は高いので、判断力の衰えは
経験値でカバーされているとも言えます。
ですので、高齢者だから運転をしてはいけない、という決めつけは
危険だと思います。
気が動転した時は年齢はまったく関係ない状態だと考えたほうが
よいのではないでしょうか。

それにしても・・・
今回の大阪での事故の車種はまたあのメーカーのあの車種でしたね。
立て続けに起こっている暴走事故の車種は同じなんです。
もう偶然とは言えないでしょうね。
どこのメーカーや車種なのかはあえて書きませんが、気になった人は
検索で調べてみてくださいね。

おそらく、今回もまた自動車側に問題はなかったということになって
しまうんでしょうね。
本当にそうなのでしょうか?

確かに自動車側に不具合や設計上の問題はなく正常だったとしても、
グレーゾーンの正常ということは考えられます。
どういうことかというと、その車種はもともとが運転ミスを誘発しやすい
仕様だった可能性があるということです。
もっと分かりやすく言うと、テレビのリモコンで、ややこしいボタンが
多いために、うっかり違う操作をしてしまう、という感じですね。

それがテレビだと良いですが、運転中の車となると、その操作ミスが
命取りになるということです。
そんなにややこしい操作性でも、不具合も設計上の問題はないと
いえばないため、正常と判断されてしまいます。
しかし、実際には運転ミスを誘発させてしまう仕様なんですよね。
つまり実際のところはアウトということですね。

そのようにして、本当の原因が見過ごされてしまうと思われます。

また、あの自動車メーカーは、今の政府からも特にお気に入りの
大企業のため、真の原因を追求されることはなく、あえて見過ご
されることになるだろうなと思います。
しかも、いくつかの有名なテレビ番組のスポンサーでもあるので
情報操作も自由自在でしょうね。
まさに今メディアなどで報道されているように、高齢者の運転が
悪いんだ、という原因にすり替えて決めつけられつつありますね。

やだね、大人の世界って・・・

あと自動車ではないですが、一昨日には東京で電車の逆走事故も
ありましたね。
無人運転の電車だったそうです。

私も10年以上前ですが、東京で無人運転のゆりかもめに何度か
乗ったことがありましたが、なんとなく運転が不気味で不安だった
記憶があります。
ちょっとしたことで誤作動を起こして暴走するんじゃないかという
不安だったように思います。
なので、今回の逆走事故はあり得ることだと思いました。

レールの上を走る電車でさえそれなのに、自動車の無人運転の
実用化なんてまだまだ先の先の話ということですね。

以前にも無人運転のことについての記事を書きましたけど、まずは
うっかり踏み間違いなどの、人為的な運転ミスをカバーする技術の
確立のほうが先だと思います。