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今年も残すところあとわずかとなってしまいましたね。

今年は天皇即位や風水害が一番記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。
でも「闇営業」に端を発してお家騒動に発展した吉本興業の問題も今年でしたね。
このブログでもその話題のことに触れていました。(動物にたとえてすっきり解決

何気に大きな問題だったと思いますけど、その問題のおかけで、吉本興業という
巨大組織の裏側みたいなのを垣間見た気がします。
組織の頂点にいる芸人はダウンタウンなんだなというのも明確に分かりました。

偶然なのですが、私は今年初めから数か月間に渡って「松紳」(松本紳助)という
2000年~2006年に放送されていた深夜番組をネット動画で見ていました。

ダウンタウンの松ちゃん(松本さん)と今は引退していない島田紳助さんが
二人で談笑したり、たまに何かにチャレンジするというシンプルな番組でした。

お二人ともリラックスして本当にありのままの自分で楽しまれていた感じが
とても見ていて楽しかったです。
数か月かけて、番組6年分をほとんど見ていたので、ダウンダウンと仲間たちの
つながりをはじめ、吉本興業の社内の様子などを自然と知ることができました。
なので、今年の吉本興行の問題はわりとすんなりと理解できたところがありました。

私は特にダウンタウンのファンではないですが、「松紳」を見た影響で、
お二人がデビューした頃から30代頃までの漫才や出演の番組などいくつかの
映像をネット動画で見ました。

お二人がその後、吉本興業の芸人のトップに上り詰めるわけなので、若い頃は
どんな姿勢で臨んでいたのか意識しながら見ていました。

そこで気づいたことがあります。

ダウンタウンのお二人は最初から「自分たちはトップになって当然」という姿勢で
あったように思いました。
大御所と言われる芸人たちと一緒に出演している時から、そういう姿勢に見えました。

たとえば、漫才を終えた後に大御所から審査されていても、お二人はそんな審査
どーでもいいわ、というふてぶてしいとも言える態度を取っている様子もありました。
審査の結果に関わらず、その姿勢を常に貫いていた印象です。

ある意味、生意気とも言えますが、あまりにまっすぐな姿勢なので、なぜか偉そう
だったり、嫌味っぽくは見えず、むしろ清々しく見えるほどでした。
なるほどなあ、このお二人の姿勢だったからこそ、今頂点にいるんだなと納得でした。

言い換えると、トップになるための道をお二人が自ら選択して当然のようにその道を
歩まれたから今トップの座にいるということですね。

彼らの好き嫌いはともかくとして、やはり、何かを成し遂げる人は
「自分はそうなって当然」という姿勢で取り組むことが大事なんだろうなと思いました。
できるかなあ、ではなく、できて当然、という強い思いですね。

度々弱気になりがちな私ですが、そのことに気づけたことは今年の収穫の一つかな。
それでは良いお年を~(*^▽^*)


前回のブログ記事では、BOAがライブでメリクリを歌っているときに
観客が一緒に歌って大合唱となり、本人が泣いていたシーンの映像の
ことを書きましたけど、私の記憶が少し間違っていたようです。

大体は合っていたんですけどね。

実はその時の映像はyoutuebにないかなと必死で探していたところ、
なんとかみつけました。
嬉しいです。

BOAが英語バージョンのメリクリを歌い終えて、観客に語り始めた時、
観客の一部がメリクリを歌う声がかすかに聞こえてきて、そのうちに
すべての観客が静かに歌い出ししました。
そして気づけばその声が大合唱となって会場全体を包み込み、
BOAがそれに感激して泣き出してしまい、最後には一緒に歌った
という感じでした。

かなり久しぶりに見ても新鮮で、やはり良いシーンだなと思いました。
もし自分がこの会場にいたら間違いなく泣いていたと思います。
会場にいなくても、今泣いていますが。・゚・(ノ∀`)・゚・。

BOAはKPOPの先駆けのような人だと思いますけど、
あまり国籍や国境を感じさせず、どの国の人からも愛されるような
雰囲気を持っている気がします。
それと、メリクリはしっとり歌う感じなので、うっかり忘れてしまって
いましたけど、この人はもともと歌だけでなく、ダンスもバリバリに
踊れるのですよね。

何かを「越えている人」という感じがします。

おそらく生まれ故郷の韓国だけでなく、日本、アジア、世界へと
歌を通じて生きていきたいというまっすぐな思いがあったから
いろんな壁を越えていったのだろうと思いました。

そして、メリクリというクリスマスの季節に合わせた曲ができ、
彼女が歌うことで、他にはない魅力的な世界観が創り出され、
長年愛され続ける曲となったのでしょうね。

だからこそ、自然と大合唱となり、会場全体が一体感に包まれ、
皆がその世界観にずっと浸っていたいという願うような気持ちに
なったのだと思います。

私も何かを「越えている人」となって、長く愛され続ける世界観を
創り出していけるような存在になりたいとあらためて思いました。

素晴らしいシーンを思い出せて、しかも映像も久しぶりに見る
ことができて本当に良かったです。


Snowflakes きみの暖もりは
冬の贈り物 ほら 雪だよ



ちなみにそのシーンの映像です。
(開始2分あたりから見ると分かりやすいです。)



今年も気づけばクリスマスになりましたね。

聖地・仙台では「光のページェント」(通称ヒカペ?)というイベントが
12月いっぱいまで開催されているそうです。
写真を見ましたけど、もう一瞬で感動です。
この時期にあんな素敵な光景が広がっているなんて・・・
また仙台が好きになりました。

さて、クリスマスと言えば、クリスマスソング。
皆さんはどんな曲を思い浮かべますか。

私はいろいろとありますが、BOAの『メリクリ』を思い出すことが多いです。
特にBOAのファンというわけではないけど、この曲はクリスマスソングで
長年に渡って愛され続けそうな名曲だと思います。

何年か前に、BOAがどこかの会場でこの曲を歌っていて、お客さんも
口ずさんで歌い始めたところ、BOAは感極まって泣き出していました。
皆自然に歌い始めたという不思議な感じでした。
BOAは泣いて歌えないのに、お客さんの歌声だけが会場に静かに
響き渡って気づけば皆が大合唱という感じで、見ていて感動しました。
その印象が強く残っています。

そんな中、今年には、11月頃から何かとよく女性アーティストらしき
歌声で、初めて聞くクリスマスソングが流れているのを耳にしました。

正直、あまり好きな曲の感じではなかったので、クリスマスソングは
やっぱりBOAのメリクリしかないでしょ!と思っていました。

でも・・・
今日、偶然、その曲を生で歌っているのをテレビでチラッと見ました。
Little Glee Monster(リトルグリーンモンスター)という女性ボーカル
グループの『愛しさにリボンをかけて』という曲だったんですね。
なんだか、一生懸命歌っている感じに聞き入ってしまいました。
意外と良い曲だなと思い直しました。
悪く言ってすみませんでした、という気持ちです。

もしかしたら、BOAのメリクリと同じように新しいクリスマスソングの
定番になっていくかもですね。


『メリクリ』:BOA




『 愛しさにリボンをかけて』:Little Glee Monster




追記

過去の映像を見た記憶で、私の記憶が一部間違っていました。
正しい内容を次回のブログ記事に書いています。


ひどいいじめを受けている人がいれば、追い詰められて死なないように
「とにかく逃げて!」と声をかけることが多いと思います。

そのことで悩んで死ぬくらいなら、とりあえず逃げろ、ということですね。

逃げることが良いか悪いかは別にして、とりあえず危険を回避するためには
逃げるという選択肢は必要だと思います。
ただ、逃げても事態が変わらないこともあります。

なぜ逃げても事態が変わらないのか・・・
それは逃げ方が足りていないということだと思います。

たとえば、学校でいじめられたから、保健室での個人授業という形にして
もらってとりあえずいじめから逃げたものの、いじめっ子が追いかけてきて
いじめられる、ということがあります。
また、職場でいじめられて、部署を変えてもらったものの、以前の職場の
人から蔑んだ目で見られ、悪い噂を立てられるということもあります。

その結果、逃げた人は一時的に安心できても、また精神的に追い詰められ、
人生がつらくなってしまいます。
これではせっかく逃げたのにあまり意味がなかったということですよね。
結局、逃げ方が足りなかったのだと思います。

ライオンやトラに追いかけられた小動物は中途半端に逃げただけでは
結局、追い付かれて餌食になってしまいます。
もっと遠くまで逃げていれば助かっていたはずです。

それと同じように、逃げて安全を確保するためには、遠くまでしっかりと
逃げることが必要だと思います。
転校や転職をする、あるいは起業するなど完全に状況が変わる場所まで
しっかり逃げることが必要です。
なのに多くの人は逃げるとき、その逃げ方が中途半端ではないでしょうか。

と言う私自身もかつて逃げた時には逃げ方が中途半端でした。
なぜ中途半端になってしまったのかというと、やはりそれまでの
価値観に縛られていたからだと思います。

今の学校や職場を辞めたら生きていくことなんかできない、という
価値観に縛られて、それから外れて新しい価値観で生きることに
恐怖心を抱いていました。
恐怖心を抱くどころか、嫌悪感を抱いていたのかもしれません。
その結果、逃げたとしても、逃げ方が足りず、またすぐに生きづらく
なってしまっていたということを長年に渡り繰り返していました。

今思えば、あの時もっとしっかりと遠くまで逃げておけば、もっと
スムーズに新しい人生にシフトして歩むことができていただろうなと
いう気がしています。

「逃げる」というのは後ろめたい気もしますけど、実際には新しい
人生にシフトして歩む覚悟でもあるのでしょうね。
なので、逃げ方が中途半端だと状況は変わらないままになります。

もし、今、逃げるという選択肢を考えている人は、せっかく逃げる
のであれば、豪快に逃げるということをおすすめします。

もちろん、年齢や状況によっては逃げないほうがよいこともあるので
すべての人におすすめするわけではないですけどね。
人生やり直しの利く若い人には特におすすめしておきたいです。

ただし、くれぐれも逃亡は計画的に。(笑)


クリスマスも近い華やかな時期なので、この痛ましい事件の
ことはスルーしようかなと思いました。

でも、同じようなことで悩んでいる人もいると思うので、
なんとか連鎖的に事件が起こらないためにも、あえて書いて
おきたいと思います。

無職の息子を殺害した元農水事務次官の熊沢英昭さんに
懲役6年という実刑判決が言い渡されました。

息子から頻繁に家庭内暴力をふるわれていたということで
同情の声も多かったですが、結果は求刑懲役8年に対して、
2年減刑し、懲役6年の実刑となりました。

この判決は重いのか軽いのか・・・

私としては、今、76歳の熊沢英昭さんにとって
懲役6年はあまりに長く重いものと思いました。

ただ、この判決が間違っているのかと言えば
それはまったく分からないです。
正しいとも間違っているとも言えない複雑な気分です。

それにしても、この事件はエリート家族が最悪の形で
崩壊するという悲しい事件だと思いました。

夫、妻、息子(兄)、娘(妹)の4人家族で、なんと
娘も既に自殺しており、しかも、妻はうつ病だそうです。
娘の自殺や妻のうつ病の理由は詳しくは分からないですが、
息子のことを悲観してのことだという情報もあります。
本来、裕福で幸せなはずのエリート家族が、息子も娘も
失って、人生の終盤に父は刑務所、母はうつ病というのは
あまりに痛まし過ぎます・・・

熊沢英昭さんは元農水事務次官。

いわゆる官僚のトップ、エリート中のエリートですね。
おそらく、在職中は家庭を顧みる暇もないほど忙しかった
だろうと思います。

その忙しい中、落ちこぼれていじめに遭い、引きこもって
いく息子に、なんとか生きる道を作ってやろうと、一生懸命に
手を尽くされていたようです。

自身の退職後には、息子にパン職人にならそうとしたり、
家賃収入で暮らせるようにと、持っていた物件のオーナーに
ならせようとされていたそうです。
そこからは単に甘やかせていたという印象は受けず、
むしろ、エリートのプライドを捨ててでも、息子のために
親としてできることをすべてされていた様子が伺えます。

それでも結局全部ダメで、家庭内暴力をふるわれ、
最終的に親が子を殺めるという悲しい結果となりました。

一体何をどうすれば、こうならずに済んだのか・・・

すぐに答えは浮かんできそうにもないいけど、一つだけ
思い出すことがあります。

『素直な戦士たち』という城山三郎さんの小説です。

この小説の主人公の家族構成は熊沢英昭さんの家族と
似ていて、両親と息子二人(兄と弟)の4人家族でした。
長男を東京大学に入学させてエリートを目指すわけですが、
受験戦争の中で長男が挫折し、家族が崩壊していくという
内容でした。
ぞっとするような悲惨な結末ですが、今回の事件のほうが、
この小説よりも悲惨な感じがします。

熊沢英昭さんの息子は、トップクラスのエリートの父とそれを
支える母の元で、あまりに窮屈で心まで居場所がなくなって
しまっていたのかなと想像します。
おそらく途中までは子供たちも素直で本当に絵に描いたような
理想的な家族だったことだと思いますが、息子がレールから
外れたことで歯車が狂い、崩壊に向かってしまったのでしょうか。

これは世間体を気にするエリート家族特有だと思うのですが、
落ちこぼれた子供は世間的に恥ずかしく、世間に知られたくない、
という両親の姿勢が、子供の存在価値を奪い、知らず知らず
精神的に追い詰めてしまっていたのかもしれません。

親が社会的に立派な職業のエリート家族の中には同じように
苦しんでいる子共は結構多いのではないかと思います。

もちろん、親と同じエリートのレールをすんなりと歩むことが
できれば何の問題も起きません。
ただ、レールから外れ、落ちこぼれてしまった時には
普通の家庭では起こりえないつらい現実が待って
いるのだと思います。

そのつらい現実を回避する方法があるとすれば・・・

子供が進学に失敗する、引きこもるなどして、レールを
外れた時がポイントになると思います。
両親は、そこで取り乱したり、叱責したりすることなく、
価値観をシフトする時が来たと判断して、いかに柔軟に
対応できるかどうかが重要ではないでしょうか。

両親が一つの価値観に縛られず、子供の本来の個性に
できるだけ早く気づいて、柔軟に育てることができれば
そんなつらい現実を回避できたのかもしれません。

今回の事件がそう問いかけているように私は思いました。


学校や職場などで人間関係に悩まされている人は多いと思います。

私もそれに悩まされてきました。
悩みながらも一つ一つ乗り越えて今があるのかもしれません。

でも・・・

あえて言いますが、人間関係に悩む時間は無駄でしかないです。
人間関係に悩むことで成長するとかほとんどないと思います。

私自身、学生時代や会社員時代には、人間関係で悩んで
乗り越えることは、自分の心を強くして、人として成長させるもの
という期待を持って耐えていたところがありました。

困難を乗り越えることにある種の価値を見いだそうという思いが
あったのかもしれません。

でもどれだけ悩んでも心身がボロボロになっていくだけでした。

今、振り返ると、それは本当に無駄な時間だったと思います。
それが今の自分に何か活かされたのかと考えると、ほぼゼロです。

そう思うのは、人間関係で悩んでいた時間は、すべて自分の
人生のために使うべきだったと後悔しているところがあるからです。
たとえば、自分を成長させるための想像的な時間だったり、新しい
人間関係の構築だったり、そういうものに使うべきだったと思います。
というか、意識してそういう時間の使いかたをしていかないと
限られた人生では時間が足りないことになってしまいます。

なのに、毎日毎日、人間関係のことで悩まされているなんて
本当に時間がもったいないとしか言いようがないです。

特に今、学校や職場でいじめにあっている人には言いたいです。
「いじめられて悩んでいる時間はすべて無駄だよ~」って。(笑)

そもそも人間関係におけるトラブルのほとんどは、皆、自分の
安心と安全を最優先で確保したいという身勝手な思いから生じた
嫉妬心だったり、何らかの理由で抱えたストレスを吐き出して
しまいたい思いから生じた攻撃心が根底にあるだけなんですよね。

そこに意味も何もあったものではないし、考えるだけ無駄という
感じです。

なので、もう今日からでも人間関係で悩むことは終了させて
その時間をすべて、自分の人生のために使いましょう(^O^)/

私自身もそう言い聞かせて今日も頑張ります。(笑)


自分のことはさておき。

私も含めて人は基本的にそういうものだと思っています。
昔のことですが、飲食系のアルバイトをしていた時にそのことに気づきました。

そのバイト先には社員が2名いました。
リーダーの50代の男性社員、その下には20代の若手の男性社員でした。

若手の男性社員は仕事はそこそこできるのですが、気が弱いところがあるため、
度々リーダーの男性社員から怒られていました。

たとえば、料理の盛り付けにミスがあった際には「ちゃんとメモして確認しながら
やらないからそんな単純なミスをするんだ!」と怒られていました。

また、置いていたものが見当たらないことがあった際にも、「自分で置いたものくらい
自分で管理できないのか!」と怒られていました。

そんな会話が度々繰り返されていたように思います。

でもアルバイトの立場から見ていて、その若手の男性社員は少し気の毒に思えました。
確かに怒られても仕方ないミスなどもありましたけど、ほとんどは怒るほどでもない
ような些細なことで怒られていたからです。
実際には、怒られることより誉めてられるいことのほうが多かったと思います。
彼は、フットワークが良い上、かなりよく気の利くタイプで、忙しい時にはフォローに回って
くれることも多くありました。、
なので、職場全体としては、彼のおかげで忙しい時間帯もなんとかうまく回っていた
ところもありました。

彼は周りのフォローすることが多かったため、自分の仕込みなどの作業に遅れが
出ることもあった感じでしたが、決して仕事が遅かったり、ミスが特別多いわけでも
なかったように思います。
むしろ、かなり冷静で要領がよく、有能だったかもしれません。
なので、どちらかといって彼は理不尽な目に遭っていた印象です。

とはいえ、リーダーの男性社員の言うことは正しくもあるので、その若手社員が
怒られるのは、ある意味仕方ないのかなと思うところもありました。
リーダーの男性社員は、上司としてちょっと厳しい過ぎる感じだけど、それだけ
自分自身にも厳しくして、きっちりやってきた人なのかなと想像しました。
その厳しさこそが上司としてあるべき姿なのかなと思いました。

しかし・・・
その思いは覆されることになりました。

ある日、リーダーの男性社員は、突然「あっ!!」と叫びました。
何事かと思いました。
どうやら、自分が盛り付けた皿で、最後にかけるべきソースをかけ忘れたようでした。
しかし、もう客に出してしまってかなり時間が経っていたので既に遅しでした。
リーダーの男性社員は「忘れてしまった~」みたいにうなだれていました。
はい、致命的なミスですね。(笑)

そして、またある日・・・

リーダーの男性社員は自分のデスクに置いていた書類が見当たらないらしく
「あの書類がない!どこいった!どこいった!」と焦って騒いでいました。
すると、若手の男性社員は「すぐ横にありますよ」とポツリと言いました。
本当にすぐ横にあったようで、リーダーの男性社員はばつが悪そうな表情で
黙ってしまいました。

「自分で置いたものくらい自分で管理できないのか!」と怒っていたのに
自分も同じミスをしてしかもワイワイ騒いでいるという始末。

そういうことが、その後も周期的に繰り返されることになりました。

上司からミスを厳しく指摘されると、部下は萎縮してしまいますが、
実はその上司も同じようなミスを日常的にしているのですよね。

この上司が特殊で、偶然、鬼のような人なだけであっただけなの
かなと思うところもありました。
でも、繰り返されるその光景を見ているうちに、その上司が特殊なわけ
ではなく、基本的に人というのは「自分のことはさておき」なんだろうな、
と思うようになりました。

表現を変えると、人は自分に優しく他人に厳しい、ということですね。(笑)

なのでどんなことがあっても、「自分はダメなんだ」と思う必要は一切なし
ということです。
もちろん、ミスした時は反省しなければいけないけど、必要以上に自分は
ダメだと思わないでくださいね。
気の弱い人はついつい自分自身を責めてしまうけど、そんな必要なしです。

人は皆「自分のことはさておき」なのだから。


集団の中にいるときは、集団のボスに従っておけば
守ってもらいながら、何も考えずに居ることができます。

でも何らかの理由で集団から離れた時は自分で自分を
守るということが必要になります。
それは人間の世界も動物の世界も同じですね。

集団から離れて生きていく場合には欠かせない大事な
ことがあると私は思っています。

それは・・・

嗅覚です。

目に見えないことを嗅ぎ分ける力ですね。
身の回りで起こっていることが自分にとって危険であるか
危険ではないないかを嗅ぎ分けて進む道を決めることになります。

もちろん、集団の中で生きる場合も、集団の中での
争いがあるので、嗅覚は必要ですが、やはり集団から
離れたところで生きるほうが、より嗅覚が必要になります。

たとえば、どんなふうに嗅覚が必要になるかと言うと・・・

最近では、頻繁に「働き方改革」という言葉を耳にしますが、
皆さんはその言葉にどのような印象を持っていますか。

なんとなく、厳しい立場の労働者の環境を改善して働きやすく
してくれるもの、という印章を持っているのではないでしょうか。
私も以前はそのような印象を持っていました。

しかし、すぐに嗅覚が反応しました。(笑)
何かきな臭いものを直感したので、調べていくとどうも
そういうことではない、ということが分かってきました。

実は「働き方改革」は労働者のためではなく、主には経営者の
ためのものだったと理解しました。

なぜかと言うと、働き方改革で残業をなくして早く帰ることが
できても、今までもらえていた残業代がなくなるからです。
つまり残業代をカットされるわけです。

でも、その分、早く帰れるから良いのでは?と思った方も
いるかと思いますけど、そうでもないのですよね。
というのは、同じ仕事量を短い労働時間で処理しなければ
いけなくなるだけだからです。
これまで9時から、残業して19時まで働いていたとします。
それが働き方改革により、残業をなくすということで9時から
17時までの定時で仕事を終えることを強制されたとします。
確かに労働時間は短くなりますが、これまで残業でしていた
仕事をすべて前倒ししで定時までの時間内で処理しなさい、
ということになるのが現実だと思われます。

というのことは、これまではなんとか人間らしく休憩を取りながら
仕事ができていましたが、一転して休憩も取らず、ロボットのように
処理して時間内に終わらさないといけないことになってしまいます。

労働者の環境が改善されるどころか改悪ですよね。
これが働き方改革の実態です。

私自身の会社員時代にも、似たようなことがありました。
「NO残業DAY」(みたいなネーミングだった記憶があります)と
称して、毎週水曜日だけは定時になれば、強制的に仕事を
終了させられるというものでした。
水曜日の17時には電気も消されて、暗がりの中でパソコンで
作業をしつつ、そそくさと仕事を終わらせて帰るという感じでした。

仕事量自体は変わらないというのに、そのように強制的に
制度だけを押し付けられて、むしろ精神的に追い詰められる
ような気分でした。
早く帰れる喜びはあまり記憶にないので、たぶんそれほど
実感していなかったということでしょうね。
というか、残業代がカットされるので、懐が寂しくなり、
早く帰れたとしても遊ぶ気にもなれなかったのでしょう。

今の「働き方改革」はまさにそういうことだと思います。

仕事量は同じまま、ロボット並みに効率よく働かせて
労働時間を短くさせれば、残業代をカットできるので
経営者にとって人件費削減のメリットがあるわけです。

「働き方改革」は決して労働者を守ってくれるものではなく、
そのほとんどの目的は経営者のためだと思っておいたほうが
良いと思います。

ただ、このように言うと、経営者はおそらく「日本の生産性は
先進国の中で最下位なので、生産性を上げるためには労働者の
働き方を改革させることは当然だろう!」と言うでしょう。

しかし・・・

日本の生産性の先進国の中で最下位なのは、経営陣をはじめ
ホワイトカラーの職種の人たちの人数が無駄に多すぎるため、
あるは効率が悪いため、という理由が考えられると思っています。

つまり、ブルーカラーの労働者の仕事内容は先進国の中でも
屈指の質の高さにも関わらず、経営陣をはじめホワイトカラーの
職種の人の多さと働きの悪さのために、会社の収益を過剰に
吸い取られ過ぎているということです。
これは公務員の天下り組織にもよくある傾向ですね。

ということは「働き方改革」で本来改革しなければいけないのは
労働者のほうではなく、経営陣やホワイトカラーの職種の人たち
という可能性が高いのです。

それにもかかわらず、今の政権は、大企業の経営者とベッタリの
スタンスですので、経営者側の意見を優先します。
その結果、今のような「働き方改革」の形となってしまいました。
ある意味、大企業の経営者や政府・官僚によって仕組まれた
社会的な「嘘」と言っても良いのではないでしょうか。

「働き方改革だ~、早く帰れるぞー」なんて喜んで騒いでいたら
気づけば、身ぐるみを全部はぎとられていた、ということに
なってしまうでしょうね。

「働き方改革」は一つの事例に過ぎず、社会にはもっとたくさんの
嘘が蔓延していると考えておいたほうがいいですね。
税金もや年金といったものも同じで嘘の宝庫だと思います。
社会保障の充実のため、と表向きに言われていても、実際には
政府や官僚による損失の穴埋めだったり、天下り先確保のため
だったり、ということもよくある話です。
無関心でいると政府や官僚にいいようにやられてしまいます。

表向きだけのことで判断してしまうと、社会の荒波の中で生き残って
いくことはできません。

なので、その言葉の裏に隠された真実を知るために、自分の
嗅覚を研ぎ澄ませるしかないのですよね。